RICOH GR
知っているようで実は知らないこと。
家族のこと、妻の日々の家事をこなすことの大変さ、夫の仕事の大変さ、子供たちの学校で過ごすことの大変さ
同僚がやっている仕事の大変さ、電車で隣り合わせるサラリーマンの一日の大変さ、コンビニではたらく店員の大変さ
日常がスムーズに回るよう、働くこと、維持することの大変さ。
自分の仕事だけが大変と感じがちだけれでも
他者の日常の大変さというのは、言葉面(ことばづら)、イメージ上では口にできるものの
実際にどのくらい大変かというのは、実はまったくわかってないし、自分のことでいっぱいいっぱいで
わかろうとする余裕もないし、わかろうとしてもイメージ以上の実体験レベルまでわかる機会は、
よっぼど追い込まれて破たん寸前までいかないと気づかないことが多い。
ということを、感じる機会があった。
恐らくだが、誰でも出来る仕事、単純な仕事、と思われている仕事ほど
時間の制約があり、自分の裁量が効かず、たとえ体調が悪くとも継続してやらなければならず、品質にはシビアであり
実はとてつもなくエネルギーを使う仕事であり、こういう仕事が日常の社会を支えているものなのだと想像した。
隣人は思っている以上に大変。
知っていると思い込んでいるけど、実はわかっちゃいないこと。
いろいろと身近なところに注意を向け
知っているつもりでほとんどわかっちゃいないことが何なのか発見したいなと。
ちょっと思った(ちょっとかよ)
ところで、
身体の日常的な働きというのは
まさに、知ってるつもりでほとんどわかっちゃいないもので
しかも、単純に見えて実は複雑きわまりない作用の統合システムであり、これが日々正確に機能しているというのは、とんでもないことなんだと思うのである。